演歌歌手小金沢昇司さんは、1958年生まれの56歳。出身は、神奈川県大和市で、実家は食堂をやられていたそうです。
小金沢さんは、中学、高校の時は、かなりヤンチャでずいぶん家族を困らせたといいます。
食堂の配達の手伝いのためにオートバイの免許をとったはずなのに、いつの間にか暴走族になってしまい、地元の警察署にもずいぶんお世話になったそうです。
その後、小金沢さんは北島事務所の付き人となり、1988年「おまえさがして」でデビューし、その後順調に演歌歌手の道を進みます。
現在、小金沢昇司さんのお母さんは認知症で介護5の状態。子供のこともわからない状態だそうです。
介護の中でも認知症の介護は、まったく別物の大変さがあります。お母さんの介護をめぐっては、兄弟とも対立してしまいます。
小金沢さんは「いっそのこと自分の手で楽にしてあげたい・・」と考えたこともあったそうです。
昔、迷惑をかけ続けていた小金沢さんだからこそ、お母さんへの思い入れが、よけいに強いんでしょうね。
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小金沢昇司さんのお母さんが認知に・・
食堂を切り盛りするお母さんは、いつもテキパキし明るい人気ものでした。姉二人男一人だったので、お母さんは小金沢さんを溺愛してくれたそうです。
小金沢さんがデビューした2年後に、お父さんはガンで亡くなりました。やがて小金沢さんは、お母さんと同居することになります。
しばらく幸せな生活を過ごしていたのですが、いつしかお母さんに異変が現れてきます。「疲れた」という言葉をよく口にだすようになり、そのうち「もう仕事したくない・・」と覇気がまったく感じられなくなります。
姉2人に聞いても、変わりないとの返事でしたが、やがて、食堂でお釣りを間違える、注文を間違えるなどの症状が現れます。
病院へ連れていったところ、アルツハイマーとの診断がくだされました。アルツハイマーは、物忘れ、記憶障害や認知障害、寝たきりと、容赦なく進行していきます。
妻や姉、子供みんなで協力し、献身的な介護を続けますがどんどん進行し、やがて足も動かなくなってしまいます。
やがては、孫と息子を間違えるようになり、その崩れていく母親を見て、小金沢さんはパニックになったそうです。
お母さんの介護で心身とも疲れていく家族たち・・特に奥さんの苦労は大変なものであることを悟ります。
そこで、老人ホームに入れることを決意しますが、特別養護老人ホームは、入居待ちで入ることができません。
家族の疲弊、そしてお母さんの姿を見て、このまま手をかけ、お父さんに元に送ってやろうとさえ思ったそうです。
そんな時、老人ホームの空きの連絡があり、お母さんを老人ホームへ入れることを決意します。
母のためにも家族のためにも、施設が一番と信じてましたが、入居した日、玄関を出るまで手を振るお母さんの姿に何もできない無力感を感じて、小金沢さんは車の中で泣いたそうです。
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2009年8月、お母さんは80歳で、お父さんのもとに旅立ちました。