「玉の輿に乗ったのに、その後どん底に落ちた女たちスペシャル」で紹介された斎藤こず恵さんが、その壮絶人生を語りました。
斎藤こず恵さんと言えば、NHKの朝ドラ「鳩子の海」で天才子役と言われ、11歳の時に「山口くんちのつとむくん」で大ブレイク。可愛らしい笑顔をよく覚えています。
そんな斎藤こず恵さんですが、壮絶な人生を送っていたと言います。
こず恵さんは、3歳で劇団若草に入団。同期には、大ブレイク中の坂上忍さんがいました。
芸能界で活躍していたこず恵さんですが、12歳の時ちょっと太ったことでダイエットを強いられ、十二指腸潰瘍になり芸能界を離れます。高校を卒業後、父親に学費を出してもらい、アメリカに留学します。
経済学を学ぶことでアメリカ留学を許してもらっていたこず恵さんですが、歌を勉強したいと申し出ると、父親からの支援が止まります。仕送りが止まり、収入がゼロになったこず恵さんは、バイトをしながらアメリカで暮らします。
そんな時、初めての結婚相手と知り合います。彼は、何店舗かのお店の支配人でした。こず恵さん32歳の時、その男性と結婚。幸せの絶頂がやってきます。
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結婚後、彼とはニューヨークで数店舗お店を持ち、ふたりで頑張ったおかげで、その収入は年間2億円。好きな時に二人で旅行を楽しむ、なに不自由のない生活を送ります。
そんな幸せ絶頂の時、日本にいる母親から連絡が入り、父親が末期がん、妹が妊娠中毒症で入院し、子供の面倒を見る人がいないとSOSが入ります。こず恵さんは日本に戻り、父親の看病と入院中の妹の子供の面倒を見ます。
その後、末期がんの父親は認知症になり、介護の苦労から母親は入院、妊娠中毒症から腎不全になった妹の子供の面倒を見ながら、日本での生活が続きます。
そんな時、アメリカでは、同時多発テロ9.11が起こります。ニューヨークの自宅やお店は無事でした。しかし、精神的に弱っていた夫は、一番つらいときなので妻であるこず恵さんに帰ってきてほしいと頼みます。
しかし、末期がんで認知症の父親の介護と妹の子供の面倒をやめるわけにいかず、離婚することになります。
1人になったこず恵さんは、家族の面倒と芸能界の仕事でのストレスであっと言うに、100キロ超え。強い全身倦怠感と体重増加で、検査をしたら甲状腺機能低下症と診断されます。
その後、詳しい検査で、2007年に甲状腺がんが発覚。甲状腺の手術を受ければ声を失う可能性があります。舞台で頑張りたいこず恵さんは、声を失うわけにはいかず、レーザーでガン細胞を破壊する治療法を選びました。
苦しくても前を向いて生きられるのは、舞台で一緒に頑張る仲間がいてくれるからだとこず恵さんは言います。
斎藤こず恵さん、癌を克服し、ますます明るく輝いてほしいですね。
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女性は、玉の輿に乗るのが幸せと言いますが、果たしてそうなのでしょうか。玉の輿に乗っても乗らなくても、どんな苦難が待ち受けていようが、前を向いて生きていくことの大切さをこず恵さんは、教えてくれている気がします。