加山雄三さんといえば、私たち子供の頃のヒーローですよね。昭和40年頃の若大将シリーズには、日本中の若者が熱狂しました。

若大将のスクリーンの中には、スポーツカー、サーフィン、エレキ、ヨット、スキー、大学生活、ハワイ、と当時の若者が憧れるもの、すべてありました。

蒼い星屑

若大将は、スポーツ万能ですき焼き屋「田能久」のお坊ちゃん、邪魔をするのは金持ちボンボンの、青大将こと田中邦衛さんでしたよね。

東京には、こんなお坊ちゃんたちが沢山いるんだ・・と田舎育ちの私は、小さな映画館の中で感動したものです。

加山さんのお父さんは俳優の上原謙さんで、お母さんは女優の小桜 葉子さん。両親の家系は、父方は鹿児島藩の名門、母方は岩倉家とため息がでそうな系図です。しかも、美男美女。

そんな家系に生まれてきたのだから、さぞかし順風満帆だと思いきや、両親の人生をたどってみると、戦争に翻弄された壮絶なドラマがあったようです。

男爵家の出である小桜葉子さんは、なんと一家を助けるために、やむなく女優の道に入ったそうですから驚きですね。そして、父上原謙さんの人生を変える列車事故。この事故がなかったら俳優にはならなかったろう、と言われているそうです。

4月10日放送「ファミリーヒストリー」(NHK)では、加山雄三さんも知らなかった、父方と母方の歴史の紐が解かれました。

番組で紹介していた加山さんのファミリーヒストリーです

加山さんの本名は池端直亮。先祖は鹿児島です。池端家の先祖は、鹿児島県大隅半島の根占で1500年ころ倭寇だったようです。その後、薩摩藩の武士となり、幕末は篤姫のお世話をしていたという記録が残ってました。

祖父清武さんは池端家の次男で、士官学校を卒業した軍人です。その長男として東京で生まれたのが、加山さんのお父さん、清亮さん(上原謙)です。

祖父の代のとき池端家本家に男子の跡取りができなかったため、清亮さん(上原謙)は、鹿児島の本家に養子にいくことが決まっていたそうです。

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しかし、本家の人が養子縁組を決め東京から鹿児島へ戻る列車が脱線し、その話が立ち消えになってしまいます。もし、脱線事故が起らなかったら、上原謙さんも、加山雄三さんも映画の世界に誕生しなかったことになります。

清亮さん(上原謙)は、その後立教大学に入ります。端正な顔立ちから友人が映画会社に写真を送ったところ合格してしまい、俳優の道に進むことになります。そして、田中絹代さんとの「愛染かつら」で大スターとなります。

母小桜葉子さんのおじいさんは岩倉具視

母方小桜葉子さんのおじいさんは、岩倉具視です。

加山さんのおばあさん光子さんは代議士の娘として生まれ、男爵である岩倉具顕氏のもとに嫁ぎますが、7人の女の子を抱えて離婚してしまいます。

生活は困窮し、長女だった具子さん(小桜葉子)は、一家の生活を支えるため子役として映画の世界に入ることになります。

やがて、上原謙、小桜葉子の二人は出会い昭和11年に結婚。翌12年に直亮(加山雄三)が生まれます。加山さんは、両親の愛いっぱいにすくすく育ち、慶応大学に入り昭和35年に映画界にデビューします。

映画の厳しさを知っている父上原謙さんは、映画会入りに最後まで大反対だったそうです。そんな心配をよそに、加山さんは、若大将シリーズ、歌手と大活躍していきます。

息子の活躍を、上原さんは口にだして他人にいうことはほとんどなかったそうです。

加山さんがお父さんと子供の頃に約束した「いつかお父さんのために曲をつくってくれよ」の約束を果たすため、「父に捧げるピアノコンチェルト」を作曲し、上原謙芸能50周年記念に送ったとき、上原さんは最後のあいさつで「加山雄三は、私の最高傑作だ」とうれしそうに語ったそうです。

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上原謙さんと加山雄三さん、お二人ともどこかに謙虚さがあり、男同士の照れがあり、親子としての愛があり、とっても素敵な家族だな、と感じました。加山さんには、いつまでも私たちの若大将として活躍してほしいですね。