清水由貴子さん自殺の真相を小西さんが語る 爆報!THEフライデー

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清水由貴子さんを覚えている方も多いと思います。ぷっくりして目がくりくりして、とても愛らしい方でしたね。

清水由貴子さんは1959年生れで、1976年の「スター誕生!」でデビュー。山口百恵さんは、清水さんと同じ年齢ですが、1972年の「スター誕生!」になります。

清水さんは、歌唱力もありアイドル歌手として活躍してましたが、やがて「欽ちゃんファミリー」のメンバーに参加し、お茶の間の人気者になりましたよね。

欽ちゃんバンドで活躍した小西博之さんとは同じ年齢だったこともあり、とても仲がよくデュエット曲を出したり、一時恋仲のニュースもありました。そんな、清水由貴子さんに、突然自殺報道が流れたのは、2009年4月21日のこと。

静岡にあるお父さんの墓前で、硫化水素が入った黒いポリ袋をかぶって自殺しました。その横には、介護状態のお母さんが車いすで、とり残されていたというショッキングなものでした。

その訃報を聞いたとき小西さんは「自殺で死ぬなんて、僕は一生ユッコを許さない。」と絶叫したそうです。

小西さん自身も、2004年に即死状態とも言われた腎臓癌との闘病のなかにあります。清水さんの死からちょうど7年。小西さんは、初めて清水さんの墓前を訪ねます。

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お母さんの介護疲れと「うつ」があったと言われる清水由貴子の自殺さんの真相が、小西さんの口から今明かされます。

ここから番組の内容です

清水さんと小西さんが出会ったのは、1982年に始まった「週間金曜日です」。欽ちゃんバンドでは、小西さんはドラム、清水さんはキーボードでした。

視聴率は30%を越え、大ブレークした小西さんは、完全に天狗になってしまっていたそうです。そんなとき、唯一彼をしかってくれたのが清水さんでした。

「あんた、何か勘違いしていない。私達はお客様を喜ばせる仕事なのよ。あんたは自分が喜んでいるだけでしょ!」と、調子になっている小西さんの鼻をぱきっと折ってくれました。

小西さんが、欽ちゃんにダメだしを受けたときは「コニタン甘いな・・、悪いことも、失敗もすべて受け入れないと成長できないよ、考え方は自分次第なんだからね。」と言って、励ましてくれたそうです。

その後、小西さんはドラマ「金曜日の妻たちへ」や、ザ・ベストテンの司会など活躍しますが、2004年過酷な現実が襲いす。それは、死亡率99%の末期の腎臓がんという宣告でした。

小西さんは、一時自暴自棄になりますが、そんな時に思いだすのは、きまって清水さんの言葉だったそうです。

小西さんは、20cmまでがんで膨れ上がった腎臓を無事に摘出します。その後も、がん移転の恐怖、離婚と、次々にトラブルに見舞われますが、そのたびに、清水さんの言葉を思い出し、がんばってきたそうです。

頑張り屋の清水さんには、自分がしっかりしなければならない訳がありました。清水さんは9歳のときに父が亡くなり、病弱な母と8歳年下の妹を自分の手で守ろうとして芸能界に入ったそうです。

そのため芸能界にいながら、朝は妹の弁当を作って、夜遅い時には妹のご飯を用意して芸能界で頑張っていました。

小西さんのがん手術が成功した2年後、清水さんは、お母さんの介護のため芸能界を引退します。その時、お母さんは白内障で視力はゼロ、認知症も併発していたそうです。

そうしているうち、清水さんに介護うつの症状が・・。そして、すべてを自分一人で抱え込み、父の墓前で自殺をしてしまいます。

小西さんは、清水さんに励まされ支えられてきたのに、なぜ自分が助けられなかったのか、それが申し訳なくて、今まで清水さんの死を受け入れたくなかったといいます。

「一本の電話をしていれば・・、苦しさを聞いてあげれば・・」そう思いながら、後悔と懺悔の日々を過ごしてきました。そして、7回忌の4月、小西さんは、初めて清水さんのお墓を訪れます。

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今までの不義理をわび自分を報告し、再び会いにくることを誓いました。小西さんは、今、清水さんの言葉を多くの人に届けようと、全国各地で講演活動をしています。


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