現役女優による泥沼不倫殺人事件の毛利郁子さんは今?

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かつて、毛利郁子さんという女優がいました。彼女は、1933年生まれですから、現在82歳になります。

デビューは、1957年「透明人間と蝿男」。座頭市シリーズ、妖艶な蛇映画などに出演していました。ヘビが好きだったことから「ヘビ女優」とも呼ばれていました。

1969年36歳の時、当時付き合っていた妻子持ちの男性と2歳になる子供の認知でトラブルになり、男を車の中で用意していた包丁で刺殺し逮捕されます。

判決は、一審で懲役7年、二審で懲役5年が言い渡され刑が確定しました。服役後3年で仮保釈され、芸能界を引退し、結婚して平穏な家庭生活を送っているそうです。

実は、私は毛利さんのデビュー作「透明人間と蠅男」を子供の頃、観た覚えがあります。

調べてみたら、当時の映画は3本立てのものが多く、この映画と一緒にやっていたのは「赤胴鈴之助 飛鳥流真空斬り」と「頭突きと空手チョップ」でしたので、私は、おそらく赤胴鈴之助を見にいった時だと思います。

毛利さんがなぜ殺人事件を犯したのか、殺人なのに異例とも言える懲役5年という短い判決、そこには、男に振り回され続けた、毛利さんの壮絶な人生がありました。

毛利さんは、高知県宿毛市で呉服屋の家に生まれ、親戚の経営する別府にある旅館で働いていたときに全国温泉美女コンテストの「ミス温泉」に選ばれました。

その後、1956年に大映の「大映10期俳優研修生」として入社し、100本以上の映画に出演します。

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そんな順風満帆のような毛利さんですが、彼女の周りには、いつも危ない男性の影があったようです。

事件に発展した男性は興行師で、姫路のヘルスセンターへの出演交渉で知り合いになります。

男性は妻子もちでしたが、毛利さんと始めに会った時、妻を自分の妹だと紹介したため独身だと思ったそうです。

すぐに毛利さんと男性は男女関係となりますが、将来的な不安を感じた毛利さんは、男に将来の生活費のことや、子供ができた時の認知や養育費について契約書を書いてもらいます。

その後、毛利さんは妊娠し子供を出産。その間、男性は毛利さんの付き人や、別の女性に次々と手を出し関係を持ち続けます。

子供が2歳になったとき、男性の口から「お前には、他の若い男を紹介してやるよ・・」と言われ、毛利さんは男性に対してはじめて殺意をもちます。当時毛利さんは36歳。

翌日、包丁を2本買い男性の車に乗り込みます。そして、ドライブ途中のパーキングで事件は起こります。子供の認知をめぐり口論となり、毛利さんは体をあずけるようにして男性を刺してしまいます。

すぐに毛利さんは我にかえり、助けを求めましたが、男性は出血多量でなくなりました。男性は救急車の中で、ずっと「これは自分で刺した・・」と言い続けていたそうです。

裁判では、男性の妻や、大映社長、勝新太郎さんなどからも減刑嘆願書が出され、一審では懲役7年、二審で懲役5年の判決を受けました。

1974年に服役し、3年後には仮釈放されたそうです。芸能界からも引退し、まったく消息がつかめなくなりました。

毛利郁子さんの人生は、本当に壮絶なものだったんですね・・。

この記事は「事件INDEX」さんの「現役女優愛人刺殺事件」、Wikipediaを参考にまとめさせていただきました.

毛利さんの事件は、爆報THEフライデー「芸能人史上初!現役女優による殺人泥沼不倫」でも紹介されました。

殺人事件なのに異例の懲役5年の秘密

爆報THEフライデーで紹介されていた、懲役5年の秘密。

彼女が包丁を購入したのは、殺すためではなく脅すため。子供の将来のために認知をして欲しい一心でした。

認知をお願いしたとき、彼が言った「家でも売って自分で何とかしたらどうや。自分で産んだ子の責任くらい自分で負えよ」と言う非情な言葉に絶望し、取り乱してしまった。

彼の死の直前の言葉、「先生、ワシが自分でやったんや」と言う言葉。

彼の妻の「よっぽど好きだったのでしょう。夫の趣旨を汲んで寛大なご処置をお願いします」と言う言葉、でした。

1984年、彼女(当時51歳)のその後を追ったドキュメンタリーで、番組内で、彼女に電話したところ、「そうっとしておいてほしい」と言うコメントを残しています。

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その後、彼女の消息は一切わからないと言うことです。


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