藤岡琢也さん死の真相に長山藍子さん号泣 爆報!THE フライデー

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藤岡琢也さんといえば、私ちの世代では、「サッポロ一番」が最初ですよね。このCMが始まったのが1969年で2004年までの35年間藤岡さんは、CM出演を務めたそうです。

サッポロ一番

1990年に始まった「渡る世間は鬼ばかり」では、岡倉大吉として2006年に肺炎で降板するまで16年間番組を支えてきました。

「渡る世間」では、1999年に山岡久乃さん、2006年に藤岡琢也さん、そして、岡倉大吉を引き継いだ宇津井健さんが2014年に亡くなりました。

「渡る世間」は庶民の生活の中にあったドラマなので、本当に存在していた家族のような錯覚さえしますよね。

出演者も同じで、皆さん家族同様の付き合いだったそうですが、藤岡さんは、2006年2月に肺炎で入院し、2006年10月に慢性腎不全で亡くなるまで、岡倉ファミリーと一度も会わなかったそうです。

そして、今回始めて知った藤岡さんの真意に、長山藍子さんは号泣。藤岡さんが、頑なに面会拒絶した理由とは、いったい何だったのでしょうか。

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藤岡さんが2006年肺炎のため突然番組を降板し、8ヶ月後亡くなるまですべての面会を断っていたのは、ある理由がありました。それは、藤岡さんの奥さんも、藤岡さん発病と同時期に末期の大腸がんが判明し、それをおして藤岡さんの看病していたためでした。

それを知っていたのは、藤岡さんの大好きなJAZZピアニストで家族同然の付き合いをしていた岸ミツアキさん(53)だけでした。

奥さんは、抗癌剤治療を受けると、藤岡さんの看病ができなくなるからと一切の治療を拒否。自分の命より、夫婦で過ごせる最後の時間を選びました。

そんな奥さんの状態を見越して、見舞客に失礼が当たらないようにと藤岡さんは面会謝絶にしたそうです。

二人の夢は、少しでもよくなって3ヶ月後に来日する大好きなウォーレン・バシェのJAZZコンサートに行き「DREAM」を聞くことでした。

実は、藤岡さんは、若いときJAZZトランペッターを目指していてJAZZが大好きだったのです。しかし、藤岡さんは、糖尿病の併発により、肺炎・慢性腎不全を発症してしまい、のどを切開して人工呼吸器となってしまいます。

藤岡さんが意識不明に陥る26時間前、奇跡がおきます。岸さんが来日していたウォーレンさんの楽屋を訪れ、事情を話し藤岡さんの病室に連れてきてくれたのです。

藤岡さんと、奥さんは本当に驚き、病室でウォーレンさんは「DREAM」を演奏してくれました。写真は、その時の実際の写真だそうです。

藤岡さんと奥さんは、その演奏を、本当にうれしそうに聞いていました。

その演奏から26時後、藤岡さんは意識不明になり、息を引き取るまでの5ヶ月間、目をさますことはなかったそうです。

2006年10月、奥さんは、藤岡さんの葬儀を喪主として立派につとめ、その8ヶ月後の2007年6月、大腸がんで藤岡さんの後を追うように亡くなりました。

藤岡さんは、面会謝絶の中、渡鬼の5人の娘たちをずっと自分の子供のように気にかけていたそうです。

長山藍子さんは、藤岡さんの病気の進行も、奥さんのガンのことも、まったく知らなかったそうです。

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渡鬼メンバーには、本当の家族と同じ繋がりがあったんですね。藤岡さんご夫婦、お二人は本当に幸せな人生を送られたんですね・・。


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